2010年10月05日

今日の解説。

リディア:では早速、続きを始めましょう。
犬   :いちおう、問題を再掲しますね。

  事物と、それを数える時の助数詞とが「正しくない」もの。
   砲座・台  神・体
   連歌・首  太刀・口
   パンツ・丁 風見鶏・本
   金魚・尾  金槌・丁(挺)
   離婚・回  真珠・匁



リディア:改めて、この中で正しくないものは、砲座、連歌、パンツ、金魚、離婚、真珠の6つ…として、前回に砲座、パンツ、真珠については解説しているわね。
犬   :うっかり順序をひっくり返してしまいましたので、今日は連歌から始め…たいところですが、もっとうっかりしていた事がありますので、離婚の数え方から始めます。
リディア:きっとあなた、離婚は「度」で数えるもの、と認識したはいいけれど、そこで視野が狭まってしまったのね。
犬   :全くおっしゃる通りでした…。
リディア:では…、先に「回」と「度」とはどう違うのかを説明しましょう?
犬   :2つの役割は同じように思えますが、実は、使い分ける厳格な基準があるんですね。
リディア:まず一つには、「回」は、繰り返される事柄に、「度」は、そうとは予期できない事柄に使うの。離婚を「回」で数えるべきではない理由もこれね。
犬   :結婚のお祝いに使う水引は玉結びにする、というのと似た考え方ですね。
リディア:このような使い分けを知っていると、「回」がふさわしくないという事は、心情的にわかってもらえると思うの。
犬   :その点で、今回の正解から外すつもりはありませんが…、ふさわしいものではない、というだけなんですよね…。
リディア:この使い分けだと、実際に経験してしまった、あるいは繰り返してしまった離婚は「回」でもいいのよね。
犬   :見た事ないのでわかりませんが、結婚相手探しサービスの書類では、「離婚歴
○回」と書くようになっているかも知れません。
リディア:ちょっと余談を挟むけれど、近頃では「離婚式」が行われる事もあるのですってね? 破局とは考えないで、それぞれの再出発点に立ったとして、けじめをつける意味合いかしら。
犬   :いずれは離婚するという事も、今ほど否定的に見られなくなるのかも知れません。そんな時代には、もう「度」と数えられる事もなくなるでしょう。
リディア:さて、使い分け方にはもう一つ、というか、上の応用とも言えるのがあるの。あって当然の事柄を「回」で、なくても不思議ではない事柄を「度」で数えるというものね。
犬   :こちらは、そもそも基準自体が曖昧かも知れませんね。例えば…「待ち合わせから2時間も過ぎているのに1回も連絡がない」と「彼とは親しくもなかったので、卒業してから1度も連絡がない」とかでしょうか。
リディア:なお「次」という助数詞は、何回かあるとわかっている事柄について、順番も示しつつ数える時に使うのが一つ。
犬   :もう一つは、似た性質がある歴史上の出来事を、時系列に沿って追う時に使いますね。
リディア:では次は、負犬山くんの趣味でパンツに先を越されてしまった、連歌の数え方ね。
犬   :趣味じゃありませんよう…。
リディア:和歌、短歌なら「首」で数えるのに、どうして連歌は駄目なのかしら? そこには連歌の形式が関わっているの。
犬   :連歌とは、複数の詠者が歌詠みリレーをするものという事は、みなさんご存じだと思います。この時、最初の人は和歌でいう下の句、七七だけを詠み、次の人は五七五を、また次の人は七七を…、と続けていきます。ですから1人が1首、五七五七七をまとめて詠む事は決してありません。
リディア:だから、連歌で詠まれたものを数える時、一つにはある時に1人が詠んだものだけ、つまり「句」を数えるわけ。…一つには、と言ったけれど、連歌に関して1、2、3…と数えるのは、通例この「句」だけね。
犬   :連歌の様式が定まった中世以降には、七七、五七七が50句ずつ、合計100句で1つのまとまりとされています。100句からなる作品全体を「韻」と呼ぶのですが、これは助数詞とはちょっと違います。なぜなら100句揃って完成したものを「百韻」と呼ぶのが普通で、1韻、2韻とは数えないんですね。
リディア:ちなみに「首」はもともと、漢詩の作品全体を指す言葉で、後に日本では和歌にも同じく使われるようになって、そこから助数詞としての役割が生まれたの。
犬   :一方「句」は、漢詩や和歌の一部分を指して使われていました。連歌から俳諧が生まれ、俳句として形式が成った後でも「句」と呼ばれ、数えられたのは、決して歌詠みの人達が俳句を見下していたからではないでしょうけれどね。
リディア:もとより俳句は、和歌の伝統に裏打ちされた様式を、ある程度崩す目的もあって生まれたものだから、あえて「句」という言葉、その意味を自ら残したのではないかしら。
犬   :さて次は、金魚を尾で数えてはいけないわけをご説明します。
リディア:「尾」は、食べる魚を数える助数詞なの。たいていは、お店に並んでいるような、死んだ魚を数える時に使うわね。
犬   :食用でも、割烹などの生け簀で泳いでいるうちは「匹」で数えます。注文を受けて網で掬われた途端に「尾」と数える事になるんでしょう。
リディア:だから、たとえ金魚でも食べるつもりで水槽から出したら「尾」で数える事になるかも知れないけれど、…まあ、かなりのレアケースよね。
犬   :なお…、「匹」という字は2つの対になったものを表しています。小学館『数え方の辞典』には、人は農耕馬や荷馬を後ろから見る事が多かったので、2つに分かれたお尻の印象から「匹」と数え始めた、とあります。
リディア:後に、対になったもの、例えば布帛2反を「1匹」と数えるようにもなり、さらに後には、もっと多くのまとまりを「匹」で数えるようにもなったの。この使われ方だと、前回の定義によれば、助数詞というよりは単位というべきよね。
犬   :ちなみに、馬など大型の動物を「頭」で数えるようになったのは、上記書に依ると、英語での、群れに属する数を数える時の "head" に由来するもので、比較的最近の事だろうとされています。
リディア:以上、ひとまず解説はお終い。おさらいすると、砲座は「門」 連歌は「句」 パンツは「枚」 金魚は「匹」 離婚は「度」 真珠は「粒」がふさわしい助数詞ね。
犬   :もちろん、いくつかのものは「個」や「つ」でも間違ってはいません。
リディア:…でも、これでお終いにすると、腑に落ちないものを残してしまう人もいるでしょうね。
犬   :今回の正解とはならなかった方にこそ、なんで? と思われるかも知れないものがありますからね。
リディア:そういうものを選んだのでしょう?
犬   :へへへ。…まず「神・体」 神様の数え方として「柱」をご存じの方もいらっしゃると思います。読みは「はしら」ですね。
リディア:けれどそれは本来、『古事記』『日本書紀』に見られる神だけに使われる助数詞なの。日本土着の神様であっても、いわゆる八百万の神だとか、村や路傍の祠に祀られている神様などは、「体」あるいは仏様の数え方を転用して「尊」と数えるわね。
犬   :外国、異文化の神様を数える時が、いささか厄介ですが…、キリスト教など一神教ではそもそも数えませんし、中南米の古文明やアイヌなどの神話で、人前にホイホイ出てきて一緒に歌ったり相撲取ったりする、人間の社会に近い神様は「人」と数えたりします。
リディア:「体」だけが正解ではないけれど、数え方の一つにあるのは確かね。
犬   :また「体」は、神像や仏像を数える時にも使いますが、これがまた厄介。
リディア:立像は「体」 座像は「座」と区別があるのよね。仏像には「軀」という助数詞も使われるわ。読み方は「く」
犬   :次の選択肢は「太刀・口」ですね。
リディア:長い刀剣類は「振り」と数える事を知っている人もいると思うの。これは、刀は振り下ろすものである事からきているのだけれど、同じく、相手に切り口をつけるところから「口」と数えられている例もあるのよね。
犬   :この字を使って「ふり」と読んでいたらしいんです。「くち」「こう」と読まれたらしい例もありますね。
リディア:まあ、一般的には「本」で数えるのでしょうけれどね。…で、選択肢で「本」と数えるとされたのが「風見鶏」
犬   :およそ細長いものではありませんが、これは、日本古来の風向計と言える「風見」という器具の数え方が、明治以降に転用されたのだと思われます。
リディア:考えてみれば、鶏の形をしているとはいえ「羽」と数えるのも、なんだかそぐわないわね。
犬   :金槌など、大工さんや職人が使う道具を、古くは「挺」 現代用字では「丁」の字を使って数える事は、前回に言及済みですね。
リディア:では、これにて今回の解説はお終い。
犬   :お疲れ様でしたー。



posted by 負犬山禎之丞 at 22:03| Comment(0) | 朦朧堂、衒学の間 | 更新情報をチェックする
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