2010年05月24日

今日の問題 「品川区」

犬   :リディア先生! リディア先生っ!
リディア:あら負犬山くん。
犬   :明日はサーバメンテナンスがありますから、全国のアンサーさんは気をつけましょうね!
リディア:このブログと同じ日になるなんてね。…ねえ、読者さんの中には、ブログのメンテナンスが終わってからこれを読む人もいるかもしれないわよ?
犬   :いろいろと気をつけましょうね!
リディア:答えになっていないわよ!
犬   :では、遅くなって読んだ方も早くお楽しみになれるよう、今日は早速出題します!

  東京都品川区にあるもの。
   品川駅   東京水産大学品川キャンパス
   品川区役所 品川税務署
   目黒駅   品川プリンスホテル
   大森海岸駅 北品川駅
   大森駅   品川寺



犬   :品川から京浜急行で南へ3駅、2キロ半くらいのところに青物横丁という駅があります。
リディア:この近くに品川寺というお寺があるの。ホンセンジと読むのよ。
犬   :品川寺の鐘は国宝に指定されています。江戸初期、1657年に鋳造されたそうです。ところが200年後、幕末にいったん行方不明になりました。
リディア:その後で最初に、この梵鐘が記録に見られるのは、1867年のパリ万博。4年後のウイーン万博にも展示されたらしいけれど、その後の行方がまた辿れなくなったの。
犬   :明治末に品川寺住職となった順海さんが、八方手を尽くして探したところ、梵鐘は万博の後、スイスのジュネーブに住んでいた名士の手に渡り、同氏没後に彼の邸宅、所蔵品と共にジュネーブ市に寄贈され、邸宅を改めた美術館に所蔵されていた事がわかりました。
リディア:外交筋にも働きかけての返還交渉は10年近くに及んだようだけれど、1929年には同市議会で返還が決定。翌年中には無事品川寺に戻ったみたい。
犬   :現在、ジュネーブ市が品川区の友好都市になっているのは、その後の交流に依るのだそうです。
リディア:ところで、この品川寺から南へ0.5キロ、北へ1.5キロほどの間には、地図上でざっと見えるだけでも18宇のお寺が集まっているの。
犬   :より南側の2キロや、品川駅方面への2キロとは、まるで比べものにならないほど多く建っています。
リディア:おそらく、こうしてお寺が建ち並んでいる区域が、江戸時代に東海道品川宿として栄えた辺りなのでしょうね。日本橋を発ってから最初に迎える宿場町だとご存じの人も多いのではないかしら。
犬   :宿場の例に漏れず、旅人の足を休める役割だけではなく、ちょっとした歓楽街としての一面も持っていたようです。ですから、この地域が江戸町奉行の管轄からちょっと外れていた事も、栄えた理由だったのではないでしょうか。
リディア:いちばん北のお寺から、もうちょっと北に、京浜急行の北品川駅があるの。この事も、品川宿がその辺りより南にあった証左と言えそうね。ちなみにこの駅からまた少し北へいった辺りに、区境があるわ。
犬   :…品川の街については、いったんここまで。続いて品川という区について。
リディア:まずは品川区の範囲を大雑把に説明するわ。
犬   :西では、目黒駅を発して南西に向かう東急目黒線沿いが、だいたい品川区と目黒区との境と言えます。
リディア:南境は、環状7号線の少し北辺り。環7沿いはほとんど大田区の中なの。大井競馬場も区内ね。そして、湾岸道路が縦貫している大きな埋立島を大田区と分け合いながら、境界線は海まで続いているわ。
犬   :区面積のだいたい4分の1は、この島で占めているように見えます。
リディア:東はおおむね海に面しているけれど、湾岸道路の東京港トンネルを潜って、対岸へ出てすぐの辺りが、ちょっとだけ品川区なの。
犬   :2007年4月1日にプロデューサーさん達が集結した、あの埋立島の西端です。あの島は複雑で、ドームでお別れコンサートを成功させた後のエンディングでお馴染み、夢の大橋や、オールスターライブが行われたパレットタウンは江東区。湾岸道路を挟んでフジテレビの方は港区。そして船の科学館などが品川区。
リディア:北側、港区との境は、文章で説明するのはちょっと難しいかしら。
犬   :山手線各駅を、線路上の順ではなく、南にある順にあげますと、まず大崎、それから五反田、品川、目黒…。
リディア:品川区の北境は、東側では品川駅の南、西側では目黒駅の北にあるの。
犬   :ですから東から西へ向けて斜めに北へ寄っていく感じですね。
リディア:さて、この品川、目黒の両駅が、それぞれ名前通りの区にはない事は、少なくとも都内在住の人には常識と言えるかしらね。
犬   :まず品川駅から説明しますと、品川区境からほんの500メートルほど北側、港区の中にあります。
リディア:先ほど紹介した北品川駅は、区境の内側だったわね? 品川駅より南に1駅目なのに、北品川。
犬   :かつての宿場町品川の人達が、鉄道のせいで宿を利用する客が減ると恐れて、総力をあげて駅設置を拒んだために、離れた場所に設けざるを得なかったとも言われています。…どうせ俗説だろうと思っていたのですがとんでもない。
リディア:久保田博さんの『日本の鉄道史セミナー』によると、旅籠屋を初め車夫や駕籠屋などによる威力妨害が頻発したらしいわね。
犬   :鉄道反対派は市制の人々ばかりではありませんでした。新政府で役職持ちだった黒田清隆や、遠く地元の県政に就いたはずの西郷隆盛などの要人個人、政府内の監察機関だった弾正台、そして、新橋横浜間に関しては反対とした兵部省。
リディア:なお推進派には、政府内外を問わずあげると、大隈重信をはじめ伊藤博文、井上馨、渋沢栄一、横浜の材木商だった高島嘉右衛門、旧幕臣の加藤弘蔵、そして、群を抜いた説得力を有した建議書を書いた京都の医師、谷暘卿などの人達がいたわ。
犬   :反対派の論拠は、交通が速やかになると有事に際して敵を利するだの、先に国防へ予算を割かないと国が立たないだの、外国から借金して外国人の指導で事業を行わせるなど売国奴の所行だだの。まあ最後のはともかく、軍事的見解からの反対論が大勢を占めていたようです。
リディア:そしてあいにく、鉄道予定地の多くが、兵部省のものだったの。当然のように用地明け渡しを強硬に拒んだのよね。
犬   :特に、東京側の駅を建てる予定とされた場所がそうでした。新橋駅予定地こそ最終的には明け渡されましたが、品川駅予定地は頑として譲られなかったようです。そこで政府は思い切った策を採りました。
リディア:すでに江戸時代の内から行われていた、東京湾の埋め立て。品川駅は海縁ギリギリに予定地を移して建設を着工し、線路は海上を走らせる事にしたの。漁業従事者に配慮して、船で出入りできる口を設けるなどして、総延長2655メートルの海上橋梁を建造したのよ。
犬   :品川駅ホームの端では釣りができたとか言われています。それはさておき、早い段階で予定を変更させられた品川駅の方が、用地明け渡しを待った新橋駅より早く開業できたというのも、ちょっと皮肉な話ですね。
リディア:このような紆余曲折を経て、1872年1月に品川駅が完成し、6月12日に横浜との間で運行開始。着工から2年半で開通させられたのは、これら議論や騒動を鑑みたら、驚異的な早さだったと思うわ。
犬   :余談になりますが、この時の横浜駅は、今の桜木町駅。ですから現在の東海道本線上にはありませんでした。
リディア:もともとこの鉄道は、関東関西を結ぶ大動脈路線の一部として考えられていなかったのですって。
犬   :新政府は、東海道を走らせるか、中山道を通すか、両天秤にかけていたようです。結局東海道ルートが先に現実化しましたが、1915年に新しい横浜駅ができるまで、東京を発し西へ向かう列車は、旧横浜駅でスイッチバックをして保土ヶ谷方面へ向かっていたそうです。なお、この新しい横浜駅も、今よりはだいぶ旧駅寄りにありました。
リディア:余談ついでに…。新橋駅は同年10月に開業。これも現在の場所とは少し違っていて、ゆりかもめの新橋汐留間、日本テレビがある辺りだったの。
犬   :ちなみに東京駅は、この両駅などから遅れる事38年を経て開業しました。…後に品川駅はもうちょっと北、つまり現在の場所へ移ります。
リディア:余談はここまでとして…、こんな次第で、すでに駅ができた当初から、地名とのズレが生じていたの。…さて、以前にここでした、特別区の話をおさらいするわね?
犬   :まず東京府ができ、府内に東京市が市制施行し、戦争中に東京都ができたんでしたね。また、今の23区のうち、かつて江戸町奉行の管轄下にあった地域が先に、他の地域が後に、という流れが、府の成立、市制施行と2回にわたって見られたんでした。
リディア:初めの方で負犬山くんが言ってくれた通り、品川宿は江戸町奉行の管轄から外れた場所にあったわよね。一方、予定を変更して建設された品川駅は、最初から東京府の中にあったの。
犬   :駅が完成したのが72年1月でしたが、その2ヶ月ほど前まで、今の品川区域は「品川県」に属していたんです。…で、距離にして1キロも離れていないながら、江戸町奉行の管轄下だったか否かという違いが、1947年に今の23区が調うまで尾を引いてしまったわけです。
リディア:戦前にあった区が戦後に合併統合された時にも、この違いを越えた統合は行われなかったの。そしてとうとう今日まで、140年前に品川の外に建てられた品川駅が、品川と呼ばれる地域と一緒になる機会がないままできてしまったのね。
犬   :ここまで見てきますと、「なぜ品川区にないのか」より「どうして品川の名を残したのか」という事の方が疑問ですね。
リディア:1904年に、今の京浜急行が開業させた品川駅は、場所は少し変わったけれど、今の北品川駅。同社は25年に、国鉄品川まで延伸したけれど、それから8年間は土地の名を採った「高輪」として営業したのよ。…まあ、国鉄に品川の名が残ったのは、初めに書類に載せた名前から変更するのが面倒だった、とかではないかしら。
犬   :今の品川区域に鉄道の駅ができたのは、山手線の前身である品川線が1885年に開通し、半月遅れの3月16日に目黒駅が開業するまで待つ事になります。…というわけで正解が1つ。
リディア:同駅が目黒区域に造られなかったのは、地域の農業従事者などが、排煙の影響を恐れて線路の敷設を硬く拒んだためだと言われているわ。
犬   :だいぶ前にトレイン検定編で書いていたと思いますが、品川線は、新橋と上野方面とをまっすぐ結ぶための用地取得に手間取っていたので、比較的取得し易かった地域を迂回させてでも線路を繋ぐために敷設、開業した路線でした。
リディア:だからこちらでは、取得交渉に時間をかけていられなかった、という事もあったのでしょうね。
犬   :選択肢に入れた駅は、あと2つ。大森と大森海岸とでした。…どちらかが正解で、どちらかが不正解だと、直感して頂けたでしょうか。
リディア:大森駅は大田区にあるのだけれど、駅の東口から、駅を挟んで西へ500メートルくらいの範囲で、区境が大きく曲がっているの。大田区が品川区に食い込んでいる感じね。
犬   :…読者さんの中でお一人がわかるかどうか、という説明ですが…、大森駅の東口は大田区、でも駅前の西友は品川区。そして西友の近くにあるTSUTAYAは大田区にあります。
リディア:まあこの説明は聞かなかった事にしてね。
犬   :やっぱり…。
リディア:大森駅より海側にある、京浜急行の大森海岸駅は、品川区にあるの。駅の南端だけが、かすかに大田区にかかっているのだけれどね。…鉄道駅についての説明はここまで。
犬   :さて…、品川駅周辺は、品川の街とは別に発展をしていく結果となりました。戦後を迎えてからの発展が顕著なようですね。今や、品川と聞けば駅や周辺を思い浮かべる人の方が多いでしょうか。
リディア:駅周辺には、品川プリンスホテルや品川インターシティ、それに東京水産大学品川キャンパスと、港区にあっても、駅に因んで名をつけた施設も珍しくないわね。
犬   :まあこれらは民間であったり、行政上の縛りを離れた教育機関ですからいいのでしょうが、なんと品川税務署まで港区にあるんです。
リディア:これもまあ、区ではなく都の機関だからいいのかしら…と思ったらさあ大変。同署が管轄する地域は、品川区の一部なのよ。品川税務署がある地域を管轄するのは、隣駅の田町に近いところにある芝税務署なの。
犬   :さすがに区役所は区内にありますけどね。品川区のほぼ真ん中、大井町駅の近くに位置しています。
リディア:…以上、今日の正解は、品川区役所、目黒駅、大森海岸駅、北品川駅、品川寺の5つでした。
犬   :では今日はここまで。お疲れ様でした。



posted by 負犬山禎之丞 at 21:36| Comment(0) | 朦朧堂、衒学の間 | 更新情報をチェックする
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