2009年03月25日

今日の解説 「19世紀」

犬   :リディア先生! リディア先生っ!
リディア:あら負犬山くん。何年ぶりかしら?
犬   :12分の1年ぶりくらいになると思います。いやあお懐かしい。
リディア:ノリボケはいいから、1か月も空いてしまった事への反省を、しっかりとなさい。
犬   :うう…、アカデミー6の稼働が待ち遠しくて、記事に手がつかなかったんですよう。
リディア:だったら、せめて本稼働日には何か書きなさいよ。
犬   :ええと、ミキノハートが圧倒的1番人気に推されていた事は書きましたよ?
リディア:クイズの事を、よ! …もう、いいからとにかく、1か月前に出したクイズの解説をしなさいよ。もう誰も待っていないと思うけれど。
犬   :あー、あれも途中までは書いてあるんですけどね…。3項目だけで7000字を超えてます。
リディア:……答えだけにしましょう。
犬   :はい。…さすがに、問題も再掲しないと駄目でしょうね。

  19世紀の出来事。
   オスマン=トルコ帝国滅亡 日英同盟締結
   科挙廃止         ナポレオンのクーデター
   アムンゼンの南極点到達  カメハメハ王のハワイ統一
   シベリア鉄道全通     ムガル帝国滅亡
   『吾輩は猫である』連載  『最後の授業』発表

リディア:それじゃ、順番に答えを見ていきましょう。
犬   :まずは、オスマン=トルコの滅亡ですね。これは1922年、当時トルコの実権を掌握していた、トルコ人民党の首班ムスタファ=ケマルが、スルタン制を廃止すると宣言した時点での事とされています。よってこれは20世紀の出来事ですね。
リディア:もっと昔の出来事だと思っていた人もいるかしらね。
犬   :なお、その時点まで、オスマン帝国はイスタンブールに首都を置いていました。…ここからは推察になりますが、トルコの都市の中で、おそらくもっともよく知られているイスタンブールが、現在の首都ではない事の背景には、現体制に繋がる人民党と対立していた都だった事があるのでしょう。
リディア:今の首都はアンカラ。人民党ゆかりの地なのよね。
犬   :ちなみに、トルコの首都を問う問題は、360版アイドルマスターで出題されるので、覚えておきましょう。
リディア:次は、日英同盟締結ね。これは高校世界史でも必ず押さえられる事柄だから、難しくはないと思うけれど、どうだったかしら?
犬   :ただ、19世紀の事かどうか、という問い方だと、だいたいの年代が思い出せる程度の方は困ったかも知れません。…1902年、20世紀2年目の事でした。
リディア:そうねえ。日清戦争後、日露戦争前、と覚えているだけでは、どっちの世紀か迷うでしょうね。
犬   :実は僕も、問題を出した時点までは19世紀末の事だと思ってました。
リディア:お馬鹿さん。
犬   :続いては、中国における科挙の廃止、ですね。これは、アンサーアンサーのチキンレースで見た事があります。
リディア:これも、だいぶ昔の事と思われているかも知れないけれど、廃止への過程で大きな役割を果たした人物に、袁世凱がいるのよね。
犬   :清朝末期の人物ですね。清朝が滅んだ時の総理大臣でしたが、在任中から革命派と通じていて、滅亡と同時に新国家の大総統になりました。その後は独裁色を強くしていき、一時は皇帝にもなりましたが、内外の反発を受けて帝政を取り消した直後に病没。
リディア:彼は日清戦争後までは、軍の大物でしかなかったけれど、19世紀末の義和団事件以降になって、政治にも参与するようになったの。で、科挙の廃止を断行したのは…、これも微妙なところよね。1905年。
犬   :よって、これも20世紀でした。
リディア:次は、ナポレオンのクーデターね。
犬   :…出題した本人が言うのもナンですけど、これもなあ…。
リディア:皇帝になった事と、混同している人もいるかしらね。でも、いわゆる「ブリュメールのクーデター」と、即位とは別の事よ。
犬   :皇帝に即位したのは1804年ですので、こちらは19世紀です。それ以前、フランス革命後の混乱を押さえられなかった共和政権を打倒して、ナポレオンが実権を握ったのは1799年。よってこれは18世紀の出来事でした。
リディア:次。アムンゼンの南極点到達、ね。
犬   :これは1911年、20世紀の出来事でした。…本当に、選択肢の中に19世紀の出来事があるんですかね。
リディア:あなたが作ったんでしょう! 次は…、カメハメハ王のハワイ統一ね。まったく、いろいろなところから選んできたわね。
犬   :ああ、これは、思ってたほど昔じゃなかったんで僕が驚いたから、入れてみたんです。1810年なんですってね。
リディア:ハワイの島々に割拠していた王の中では、いちばん積極的にヨーロッパ人と交渉を持った王だったらしいわね。統一の過程では、イギリスから武器の援助を受けていたそうよ。
犬   :つまり、土着の戦力だけでは、すべての島に兵を進める事など困難で、かつて誰もなし得なかった、という事でしょうかね。
リディア:よって、ここでやっと19世紀の出来事が出てきたわね。
犬   :次は、シベリア鉄道全通、ですね。
リディア:これも、問題としてはどうかしらね。誰もがシベリア鉄道と呼ぶ区間と、人によって、シベリア鉄道の一部と見なされない区間とがあるのだから、問題の読み手次第で答えが変わってしま
犬   :いずれにしても20世紀の出来事ですので大丈夫です。
リディア:……。
犬   :今のルートとは違い、アムール川付近では清朝領内を通していたルートの開通を以て、全通とするのが一般的なようですね。これは1905年。現在のルートが完成したのは1916年でした。
リディア:1891年の着工から、現ルート完成まで25年。これを早いと見るか遅いと見るか、人それぞれみたいだけど、あなたはどうかしら?
犬   :少なくとも、東京−下関間の弾丸列車を終戦までに間に合わせられなかった某国よりは早いんじゃないかと思います。
リディア:その計画があったお陰で、東海道新幹線は5年半で完成したではないの。
犬   :まあ、そうですね。
リディア:続いては、ムガル帝国滅亡。
犬   :実質的には、17世紀のうちにガタガタになっていました。しかし、当時のインド北部、中部に割拠していた他勢力、大雑把に言うとヒンドゥー教徒、シク教徒、そしてイギリス東インド会社とが、それぞれ争ってもいたために、帝国は嵐の外でひっそりと生き長らえていったんです。
リディア:19世紀初頭には、イギリスの保護国という扱いに…、まあ、属国みたいなものになったの。
犬   :ところが1857年、いわゆるセポイの反乱が起こります。
リディア:そこでムガル皇帝は、ヒンドゥー、イスラム両教徒が協力し合う、反英の意としての「インド人」の象徴として担ぎ出されたの。
犬   :イギリスにとっての利用価値がなくなった皇帝を、イギリス軍は57年のうちに捕らえ、58年にビルマへ遠流しました。これがムガル帝国滅亡の時とされています。ですからこれも、19世紀でした。
リディア:さあ、あと2つよ!
犬   :張り切ってますね、妙に。
リディア:次は『猫』の連載、ね。
犬   :これは1905年から06年にかけての事ですね。ですから20世紀の事です。ちなみに掲載誌は『ホトトギス』
リディア:さあて最後は『最後の授業』発表ね。
犬   :これなんですけどね、まず『最後の授業』とは何か、説明しないとならないんですかね、今は。
リディア:国語の教科書から消えたみたいだものね。
犬   :まあ、あらすじと、この作品の何が問題とされているのかという件とについてはWikipediaでも見ておいて下さい。
リディア:最後にきて丸投げしたわね…。
犬   :というわけでこれは19世紀でした。もう一度整理しますと、クイズの正解は、カメハメハ王のハワイ統一、ムガル帝国滅亡、『最後の授業』発表、以上3項目です。
リディア:4つなかったら、サバイバルクイズに使い回しできないじゃない。
犬   :いや、ここでそこまで想定しなくても…。
リディア:さて…、もしかして、この後は新しい問題を出すのかしら?
犬   :ええ。解説は遅れましたが、問題はとっくにできてましたから。
リディア:ええと…、今回も、形式はアンサーアンサー型の多答クイズね。

  1以下の数にあたる「命数」
   清浄    京
   ゼプト   漠
   曖昧    グーゴル
   模糊    沙
   恒河沙   不可説不可説転

リディア:…ちょっと待って。…私も聞いた事がないのが出てきたわ…。
犬   :ちなみに、このうち1つは、そもそも命数、すなわち数を表す言葉ではありません。
リディア:…あのねえ。
犬   :という事は、それと繋がりそうな言葉は正解と思われますね。さてどっちでしょう。
リディア:…今度は、解説は簡潔にね?


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posted by 負犬山禎之丞 at 22:55| Comment(0) | 朦朧堂、衒学の間 | 更新情報をチェックする
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